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2007年12月01日

カンボジアの古代について

意外と知らない真実。
このようなことが起こっていたようです。


中国の書物によると、1世紀ごろ、ほぼ現在のカンボジアの位置に扶南(フナン)という王国があった。3世紀までは未開の地であったが、インドと中国の中間地点にある水路の要衝に位置していたため外国文化が流入し、商業国家として繁栄した。稲作が発達していた。

6世紀には、カンボジア国家の起源とみなされている国、すなわち中国史料にいう北方クメール人による真臘(しんろう、チェンラ)が勃興した。この国は扶南の属国であったが、7世紀には扶南を滅ぼし、ジャヤーヴァルマン1世(657年 - 681年)の治世の頃に最大となった。インド文化の影響を受けサンスクリット文字を使用したが、クメール文字も使われ始めた。真臘は、現在のカンボジアとラオス南部、つまりメコン川流域を領土としていたと推測されている。

しかし、ジャヤーヴァルマン1世の死後、古代カンボジアは、中国の記録に見える北の陸真臘と南の水真臘に分裂し弱体化し、8世紀にはジャワ王国のシャイレンドラ朝支配下に入った。


中世

クメール王朝ジャワ王国からの独立は、ジャヤーヴァルマン2世(802年 - 854年)により行われた。ジャヤーヴァルマン2世はプノン・クレンで即位を行い、ジャワからの解放を宣言した。これがアンコール王朝(クメール王朝)の始まりである。9世紀の末、ヤショーヴァルマン1世がアンコールに都を築いた。

1113年、スールヤヴァルマン2世が即位し、国内を統一、チャンパ王国 (Chăm Pa) や大越国 (Đ?i Vi?t) へ攻め入った。王国の範囲は、タイ中部、マレー半島、ベトナム南部に及び、また、彼は寺院建築にも熱心で、クメール美術の最高傑作であり、自身の墓でもあるアンコール・ワットを始め、トマノン、バンテアイ・サムレなどのヒンズー寺院を建築した。

スールヤヴァルマン2世死後、王位を巡り争いが続いた。さらに1177年には、チャンパの大軍が都であったヤショーダラプラを破壊した。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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